「父は、仲間の遺体を塹壕の上に積み上げ、その下に隠れて、戦車の音がしなくなるのを待ったと言っています。」

「そのとき、お父さんがソ連兵に見つかっていれば、渡辺さんは生まれてこなかったということですね」と町会長。

「おっしゃる通りです。完全に静まり返ったので外に出てみると、月が天空にかかっていたそうです。そして、月明かりを頼りに本営に向かって走ったようです。」

「戦場では、冷静な人間が生き残れるということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。」

「その戦いの後、終戦になったのですね」と町会長。

「おっしゃる通りです。ウィキペディアの『ソ連対日参戦』に、『ソ連対日参戦とは、満州国において1945年(昭和20年)8月9日未明に開始された・・・1945年(昭和20年)8月14日、日本政府はポツダム宣言を受諾し、翌8月15日、終戦詔書が発布された』と記載されているので、数日もしないうちに終戦になったことになります。」

「それでは、その戦いから数日もしないうちに、毎日数10キロ走ったのが役に立つことになるのですね」と町会長。

「詳しい日にちは忘れてしまいましたが、日本に向けて船が出るという情報が入ったのだそうです。」

「それで、日本に向けて船が出る港まで、出港日に間に合うように走ったのですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。父は、『捕虜になれば、生きては日本に帰れない』という確信があったようで、同じ考えを持つ仲間を1人さそって、出港日に間に合うように走ったそうです。」

「なるほど。」

「昼間は見つかってしまうので、夜中に何日も走ったそうです。」

「敗戦と同時に、中国人は全て敵という状態になってしまったのですね」と町会長。

「おっしゃる通りです。途中で体力がなくなり、『置いて行ってくれ』と言った戦友を背負って40キロ走ったこともあったそうです。」

「人を背負って40キロも走ったのですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。『戦友が港まで40キロのところで力尽き、『もうだめだ。置いて行ってくれ』と行ったのだが、放っておくことができなかった』と言っていました。」

「どこから港まで走ったのですか」と町会長。

「記憶がはっきりしていないのですが、新京から走ったのだと思います。」

「『新京』と言いますと?」と町会長。

2021/5/19

<筆者の一言>
秋も深まって10月に入ると体重が1日100グラムくらいしか減らなくなった。ウェブを見ると『冬太り』という単語が目についたが、冬太るのではなく、イエスズメも、イノシシも秋に太る。昔から『天高く馬肥ゆる秋』と言うように、寒い冬に備えて、食べるものがたくさんある秋に動物は太るように進化しているのだ。イエスズメもでっぷりして、ゆったりした飛び方になる。真冬になったら食べ物がないのだから太りようがない。息子が秋になって体重が減らなくなったのは自然の摂理だ。

とりあえず、毎晩3つ食べていた唐揚げを2つにし、縄跳びを50回にしたが、体重は1日100グラムくらいしか減らなかった。しかし、息子はやる気があった。体重が10キロ近く減って、顔つきまで変わってきたので、同僚の態度が変化してきたからだ。<続く>

2024/5/6